カテゴリ:出来事( 95 )

あの感覚は一体何だったのだろう…

昨夜のことだった。
その時私は寝ようとしていたが、どうもなかなか寝付けなかった…
やっと寝つけてきたかと思ったが、どうも眠りが非常に浅い…
そして、今朝の明け方、確か4時頃だったと思う。
私は突然全身に何かの衝撃が来たのを感じた。
それは、誰かに背中を蹴られたかのような感じがした。

誰だ!背中を蹴ったのは!?
と思ったが、部屋には私1人しかいなかった。
本当に誰かがいたのなら、逃げる足音やドアを閉める音など物音がしたはずである。
そしてしばらく経ったときにまた背中を蹴られた時のような衝撃を全身に感じた…。
なぜこんな感覚が起きたのだろう?

しかも2回も…

もしかして病気なのだろうか…?
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by utmich | 2012-05-18 23:36 | 出来事

ついにF1マシンが日本の公道を走る時が来た。が…

今から25年くらい前だったと思う。
F1日本GPが始まる前に横浜のみなとみらいでF1開催の計画があったが、いろいろな問題があったため結局廃案となってしまった、ということがあった。
もし実現できていたらこれが日本でF1マシンがはじめて行動を走ったこととなった時だっただろう。

あれから長い年月が経ち、2011年6月5日、ついに日本で初めてF1マシンが行動を走る時が来た。
場所は横浜の元町ショッピングストリート、デモンストレーションであるとはいえ、横浜の公道で初めてF1マシンが走ることには変わりはない。
横浜としても長い間この時を待っていたことだろう。

当日の早朝、私UtahMichiganは自宅付近のバス停から始発のバスに乗り込み最寄り駅まで行き、JR石川町駅に向かった。
今まで展示してある状態のF1マシンを見たことは何度かあったが、実際に走っている時のF1マシンをまだ見たことがない私はいろいろ期待を胸にしている状態で電車に揺られていた。
そして、石川町駅に着いた時は開催1時間前の8時頃である。
私と一緒に降りた人が結構いたので、もしかしてこの人たちみんなF1マシンを見に来たのだろうか、と思った。
元町に着くとそこには既に沢山の人で埋め尽くされていた。

誘導の指示に従い私は川沿いの道を経由しなんとか商店街のほうに入ることができたが、そこからなかなか前に進むことができなかった。
もうここが限界だろうというところまで前に進むことはできたが、このあと私達よりあとに来ていた人達が前のほうにすすんでいくのを見て納得がいかなかったのか、
“話が違う!”“ふざけんな、バカヤロー!”などといった叫び声が聞こえてきた。

私は最終的にここで見ることとなった。


なんとか前には近づいたものの、この状態では
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いろいろな意味で大変だった…。
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そして9時になりついに開会のときが来た。

パレードのときに今回ドライバーを務めるSebastien Buemi選手がコースから観客に手を振っていたようだが…、
身長169cmの私UtahMichiganからは頭と振っていた腕しか見えなかった…。
でも、一応私にとって2人目の肉眼で見たF1ドライバーとなった。

その後開会の挨拶があった。

Y152実行委員長の挨拶を聞いて
“素晴らしいアレを開催でき…”
って“アレ”ってなんだ、一体!?

横浜市長の挨拶を聞いて
“ゆっくりご覧になって下さい。”
って走っているマシンをゆっくり見ることができると思っているのか!?
まったく、もう…。

そして、ついにF1マシンが初めて日本の公道を走る時が来た。
予想以上に混雑していたためか、当初の予定では2往復だったが1往復となってしまった。
そしてBuemiがF1マシンを走らせた。
だが、私からは音しか聞くことができなかった。
それでも、初めて実際に聞いたF1マシンのエンジン音に私は思った以上のものを感じた。
F1マシンが帰ってきたときのエンジン音で私の耳は壊れそうになってしまった…。
でも、実際のレースではこれの24倍の音を聞くのかと思うと、これはレース観戦のときはイヤープラグは必要だな…、と思った。

そしてイベントが終了し、私はこのあと11時から始まるBuemi選手が走ったF1マシンの展示を待っていた。
それまでにかなりの混雑になかなかなか進めない状態の中の商店街を何往復かした。
その時私は、トラックの荷台に積んでいるF1マシンを見た。
今回Buemiがこれに乗って走ったのだな…、と思ったのと同時に実際に走っているところを見たかった…、と思った。

もしかするとこれがタイヤの跡なのだろうかとも思ったりもした。
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そして11時になる数分前になんと安全が確保できないという理由で展示が中止になったとのことを聞いた。
もしトラックに積んであった状態のF1マシンを見ていなかったら私はマシンを見ることができないまま帰ることになってしまうところだった…。

そして私はこのあと自宅でFormula Nippon第2戦を見るために帰宅することにした。

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by utmich | 2011-06-05 15:40 | 出来事

iPad2が発売された日にiPhoneの話をする

今日4月28日は日本でiPad2が発売された日である。
当初の予定では3月25日だったそうだが、震災の影響で今日に延期となったのである。

私の会社の同僚にも早速iPad2を購入した人が2人いた。
その2人の中の1人は、自慢したかったのかiPad2を持ってカフェに行ったが、周囲の人はまったく無反応だったとのことだった。

その人が“いろんなアプリを入れてしまうかも”と言った時、私はなぜかiPhoneのアプリにいろいろおもしろいものがあるという話を思い出した。
その中にそろばんがあったということを話したら、“そういうアナログなものもあるんだね”と言ってきた人がいた…。
この人は、そろばんはデジタルであることを知らないようだ…。

ちなみに私はiPadどころかiPhoneも持っていないので聞いた限りでしか知らないが、アプリのそろばんは振ったら0になるとのことである。
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by utmich | 2011-04-28 23:38 | 出来事

東北地方太平洋沖地震

東北地方太平洋沖地震が起こった3月11日、私UtahMichiganはK県K市K区(あ、該当するところが1つしかない…)で仕事をしていた。
仕事中に同僚が“なんか、揺れてないか?”と言ってきたので、揺れているかどうかに神経を集中させようとしたときにだんだんに揺れが激しくなってきた。
激しい揺れは5分ほどは続いたと思う…。

揺れが治まった時、私はネットで地震について調べてみて
“震度7が出たの!?”
と驚いた。
当然場の雰囲気は一転した。
特に東北地方に家族や知人の多い同僚が一番驚いた。

会社にあった物はさほど倒れたりはしなかった。
だが、S県K市にある私の自宅の部屋がどうなっているのかが気になった。
不安定な状態で置いているものが結構多いからかなり物が崩れている状態であるに違いない、と思った。

その後余震が何度も続いた。
中には縦揺れだったこともあった。

急遽会社のテレビをつけておいた。
といっても画面を見ながら仕事をするだけにもいかないので音声だけを聞いている状態だった。
だが、ジングルが聞こえたとき、ほとんどの人がテレビの前に駆け付けた。
もう、仕事どころではなくなった…。

電車が動かなくなったため自宅に帰ることができなくなった私は、会社近くのホテルを探すことになった。
ちなみに宿泊費は会社が負担してくれることになった。
だが、どこのホテルもサウナもネットカフェもビデオBOXも満室だった…。
駅から離れた所だったら望みはあるかも、と思いやっと満室でないサウナを見つけ、私はサウナで1晩過ごすことになった。


翌日、私はやっと自宅に帰ることができた。
だが、思った通り以上に部屋の物が被災地並みにかなり散乱していた…。


13日、私は都内B区(これも該当するところが1つしかない…)の会社で夜勤だった。
会社に行く時は特に問題はなかったが、自宅に帰るまでが大変だった。
電車の動く区間が制限されているため私の自宅の最寄り駅まで電車が動いていなかった。
幸い、他の電車はちゃんと動いていたので私は別ルートを乗り継いでなんとか自宅に戻ることができた…。


実を言うと、私UtahMichiganの実家は被災地の近くにある。
2008年に起こった岩手・宮城内陸地震では震度4、同年に起こった岩手県沿岸北部地震では震度5強、
そして今回の東北地方太平洋沖地震では震度4を記録していた。
だが、実家のほうから私のほうに電話がまだ来ていない。
以前、私が“回線がパンクする原因になるから電話してくるな!”と釘を刺しておいたからなのだろうか…。

それより、今回の地震で震度6強を記録した所に住んでいる姉が心配だ…。
私UtahMichiganにとって姉は大きな存在である。
姉がいなかったら私はF1フリークになっていなく、ただでさえつまらない人間である私はもっとつまらない人間になっていたかもしれなかった。
姉が無事であることを祈る。
実家の父も無事であってほしい。
私の仕事や趣味にいろいろ文句を言ったり嫌な反応しかしない母はどうでもいいが…。
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by utmich | 2011-03-15 23:26 | 出来事

社員旅行のことを今頃になってやっと書く

私は今年の3月ごろのことを書こうとずっと思っていた。
だが、ずっと書かないままでいた…。
今頃になってこのことを思いだしたので書くことにしよう。

今年の3月ごろ、その当時いた会社で社員旅行をすることとなった。
その社員旅行は5回に分けて行う形であり、私はその中の1回目に行くこととなった。
今回私のいたI支部からは私UtahMichigan1人だけが参加することとなった。

当日、集合場所に着いたときは私以外の参加者全員が待っている状態だった。
Y本部からはMIMYAMHOSMITそして幹事TANの5人、
T支部からはSAKの1人が来ていて、仕事帰りに直行したため1人だけスーツを着ていた。
S支部からはSAIFUJの2人が来ていた。FUJはなぜかレンズの入っていないめがねをかけていた。

現地に向かう電車の中で、みんなは出発駅で買った弁当を食べながら仕事の事を話したり、今夜どうするかなどの事を話していた。
だが、私はみんなが話していることを聞くことに専念しているような感じだった。

現地に着いた一行は滞在するホテルに向かった。
ホテルでは3部屋が割り当てられていた。
つまり1部屋3人ということだった。
幹事TANI支部長から私UtahMichiganが煙草の煙が嫌いなことを聞いていたようで、部屋を割り当てる際に1部屋だけ吸わない人を入れるようなことを考えていた。
私が3部屋の中の1つの鍵を受け取りその部屋の中に入って私はしばらく休んでいた。
だが、私以外の8人全員は1つの部屋にいたようだった。
夕食の前に一度温泉の大浴場に入ったが、その間他のメンバーは誰1人と入ってこなかった…。
私が温泉に入っている間にSAIFUJが私の事を探していたようだった。
私が温泉に入っていたことを知った時は2人は納得していたような感じだった…。


温泉から出た私は、また1人でずっと部屋の中で待っていた。
その後、夕食の準備ができたことを聞いて私は宴会場のほうに向かった。
後にほかのメンバーも来た。

テーブルの片側に4人、もう片側に5人という形で座り、私は5人いるほうの真ん中の席に座ることになった。
私の左に座っていたMIMが私にトマトが食べられるかどうかを聞いてきた。
MIMはトマトが食べられない人だった。
私はトマトが食べられる人なのでトマトを受け取ることにした。
そのお返しとして私の大嫌いなカニを渡そうとしたが、MIMはすぐに受け取らなかった…。

しばらくすると、宴会場の中にコンパニオンが4人入ってきた。
コンパニオンがみんなが座っているところに間に入ってみんなは楽しそうに話をしていた。
ちょうど私のいるところを境界線にして完全に話が2つにわかれている状態だった。
私が一度席を立ち、その後戻ってきたときに私の右にいた幹事TAN
“そういえば、コンパニオンの人たちがMichiganさんの事を好印象に思っていたよ。”
というようなことを言っていた。
本当かよ?と思った私は実際に聞いてみたらどうやら本当だったようだ。
といっても、その時着ていたシャツにちゃんとアイロンがかかっているようなことだったようだ。
この時私はネット通販で買ったBRIDGESTONEのシャツをボタンを締めない状態で着ていて、中にもBRIDGESTONEのTシャツを着ていた。
そのシャツにはアイロンはかかっていないし、形態安定というわけでもなかったのだが…
ちなみに外にいたときに着ていたジャケットもBRIDGESTONEだったが、靴はBRIDGESTONEではなく元祖空気入りタイヤメーカーの空気入りシューズだった。
また、着ていた服の色はすべて黒い服だった。
タイヤの色も黒いことから、もしかしてパンツも黒ではないかと思われたため、私はSAIにズボンのベルトを外された。
ベルトを外したSAIは私のズボンを見ると
“あははは…、ちゃんとボタン閉めてるー…。”
と言ってそのまま私の前から離れて行った。
って、ズボン脱がさないのかよ!?
ちなみにこのとき穿いていたパンツも黒だった。

そして時間が過ぎ、コンパニオンのほうも時間切れとなってきたとき、幹事TANからある3つの提案が出された。
1つはこのまま部屋に帰って寝る。
1つはコンパニオンを延長する。
そしてもう1つはここでコンパニオンとお別れして新しい出会いを求めて移動する。
ということである。
いろいろ話し合った中、このことはMIMに一任されることとなった。
悩みに悩んだ末MIMが決めたことは、ここでコンパニオンとお別れして新しい出会いを求めることだった。
MIMはコンパニオン4人に別れのあいさつをしに行った。

HOSSAKがコンパニオンの携帯番号を手に入れたと喜んでいた。
HOSが早速その番号にかけてみたら、コンパニオンを派遣する会社の携帯電話だったことを知ってHOSはがっかりした…。


ホテルを出た私たちは電車であるところに移動した。
移動先のほうでいいキャバクラがあるようなことを事前に調べていたMITが駅のほうに送迎用の車を呼んだ。
私たちはその車でピストン輸送する形でキャバクラのほうに移動し、キャバクラで2次会を行うことにした。
そのキャバクラにはカラオケがあったが、全員が歌うことはなく、おもに私とHOSが歌っていた。
歌っているうちに私は今までやった中でほぼ毎回のように受けていたことをしたが、今回は全然受けないどころか幹事TANに止められてしまった…。
こんなにも受けなかったのは初めてのことだったためかなり落ち込んだ…。

しばらくすると、幹事TANがテキーラを注文し、メンバー1人ずつにそのテキーラを渡していった。
私は口に含んだ瞬間あまりにも熱かったためまったく飲まずに全部出してしまった。
だが、そんな中YAMが女性に乗せられたのかテキーラを立て続けに3杯飲んでしまった。
そしてしばらくした時YAMは気分が悪くなってしまい、吐きながらトイレに行っては席に戻りの繰り返しになってしまった…。

そして、MIMYAMSAIの4人が先にホテルのほうに戻ることになった。
送迎用の車で最寄り駅のほうに送ってもらったが、すでに電車は無くなっていた。
その時またYAMは気分が悪くなり、トイレを探すこととなった。
トイレは駅の改札の中のほうではないかと思っていた人がいたが、改札の中に入らなくても近くにトイレがあったことを知っていた私はそっちのほうに案内することになった。
MIMSAIに肩を貸している状態で移動しているYAMが着くまでにまた吐きだしてしまうのではないかと心配していたが、YAMはなんとか持ちこたえた。

YAMがある程度落ち着いたところで私たち4人はタクシーでホテルに向かった。
ホテルに着き、部屋に入った時YAMはそのまま布団に倒れそのまま寝たようだ。
そして、私は深夜の露天風呂に行った。
ちなみにこのホテルでは男性が露天風呂を利用できる時間帯は深夜であり、昼間は女性しか利用できない時間になっている。

翌朝目が覚めた私は早速大浴場のほうに向かった。
せっかく温泉に行ったのだから入れるうちに入っておこうという理由ではなく、
露天風呂のほうにあった黒糖のボディーソープのにおいが気持ち悪かったからそれを落とすためである。

その後朝食の準備ができたことを知った私は宴会場のほうに向かった。
昨晩の夕食の時のような盛り上がりはなく、一転して静かな感じで食べていた。
また、このとき料理を出していた人が私を指して
“この人はさっき温泉に入っていたのですよ。”
と言っていた。
大浴場に向かう時にすれ違ったからである。
ちなみにこのとき出ていた味噌汁は昨晩の料理に出ていた伊勢エビの殻でだしを取っていた。

チェックアウトまでの時間の間に私はI支部の人たちに何か買っておこうと思っていた。
そして私はあるお菓子を買うことにした。
そのお菓子の小さいものがホテルの部屋に置いてあり、食べてみたらかなりおいしかったのでみんなにも、と思って買うことにした。
だが、このお菓子、おいしいのはいいが、どうしてもあの事を思い出してしまう…。

ホテルをチェックアウトした私たちは電車の時間まで余っている2時間をどうするかを考えていた。
幹事TANが事前に買っていた切符の特急券を払い戻すようなことを試みていたが、いろいろ問題があったようで結局払い戻すことはできなかった。
でも、時間はかなり余っていた。
そこで、電車の時間まで駅前にあるパチンコ屋で時間をつぶすことにした。
私は時間までパチスロをすることにした。
一時はBIGを引いていたが、結局は-6000円だった…。
中には近くのラーメン屋に移動して時間を潰していた人もいた。

電車の時間がだんだんに近づいてきたが、HOS幹事TANがまだ戻ってきていないままである。
2人はいつ戻ってくるのだろう、とと思いながらずっと待っていたが、なかなか2人が戻ってこない。
そして出発5分前になっても2人が戻ってこないままなので私たちは2人を置いて7人で帰ることにした。
あのあと2人はどうしたのかは私は知らないままでいる…。


最後に7人で帰ったことをI支部長に言ったら
“TAN、ひどいな…”
と言っていた。


注・当時のことをあまりよく覚えていないため、人が違うなどいうことがあるかもしれません。
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by utmich | 2010-12-27 04:20 | 出来事

いろいろあった2009年1月1日

新年明けましておめでとうございます。

さて、会社で仕事をしながら年を越して2009年になった直後、私達は社長の計らいで焼肉屋に向かった。
途中0時15分頃、駅前の交差点を通過しようとしたとき、人々はかなり盛り上がっていた。
中にはなぜかOBAMAコール、その後Yes, we canコールをしていた人たちもいた。
私達は盛り上がっている人たちの中を通るときにはぐれることなく無事に通過した。


その後、6時40分頃のことだった。
会社に残っていた人たちの中の1人が“初日の出を見よう”と私達を誘った。
というわけで、私を含め4人で初日の出を見にくことにした。
だが、初日の出が見られるまで残り20分、果たしていい場所が見つかるのだろうか、と思い探していた。
“もう、出てるんじゃない?”
“いや、あと20分くらいありますよ。”
“移転前のビル、入れるかな?”
“入れたとしても、さらに中に入らないと見られないですし…”
とその時、
“あ、この(移転前のビルの隣の)ビルの階段から見られるかもしれない。ちょっと行ってみてくる。”
そう言って、私は階段で上がれるところまで上がっていった。
だが、最上階とそのもう1つ下の階にはすでに先客がいた。
あきらめて帰ろうとしたその途中、
“あ、このビルからなら見られるかもしれない。ちょっと行ってみてくる。”
そう言って、私は階段で上がれるところまで上がっていった。
屋上まで上がっていった私は先客がいないことを確認したのち、“OK,OK!”と言って3人を呼んだ。
だが、なぜか3人は来ようとしなかった。
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私は、“おい、あと5分だぞ!!”と言って3人を呼んだ。
だが、3人の中の1人が“おい、帰るぞ!”と呼び戻した。
そして、私達を誘った人が、“帰るよ!”と言ってきた。
だが、私は初日の出が出るまで残ることにした。
その後、下にいた3人は初日の出を見ることなく会社に戻ってしまった。
そして7時2分、私はついに初日の出を見ることができた。
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いつもなら7時ちょうどに見ることができたが、建物が出っ張っている分2分延びてしまったようだ。
だが。その建物の角のほうから光るような形で初日の出を見ることができた。

その後、仕事が終わった私は、自分の人生の転機となった場所としている新宿歌舞伎町の神社と新宿二丁目の寺院に向かった。
私は毎年行くことにしているが、実は昨年は行かなかった。
というのも、昨年は明治神宮に行ったからである。
さて、気のせいか今年は全然人がいなかった歌舞伎町の神社と、二丁目の寺院に行った帰りに二丁目の中のある通りを歩いていた時のことだった。
二丁目には私にとっての思い出の店があったが、その店がいつの間にか閉店していた。
(看板が別のものに変わっていた)
この2年間の間にいったい何があったのだろう…
それより、あの社長は元気なのだろうか、非常に気になる…
悲しい気分になった私は家路に向かうことにした。


それにしても、私はなぜか1月3日にこれを書いている。
Michael Schumacherも40歳になったのか…
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by utmich | 2009-01-03 12:14 | 出来事

12月ももう29日になったのか…

今気づいたのだが、私は今月まだ1つも書いていないことに気づいた。
フィギュアスケートの番組宣伝のポスターを見てカチーンときたことを書くのもどうかと思ったので(他局じゃ絶対あんなことしないだろうな…)、ふと思い出したあの出来事を書くことにした。

2002年の夏頃、諸事情により私は実家にいた。
ある時、テレビに昔消防で使われていた鐘が映っていた。
それを見て父が、
“Utah、あの鐘なんというか知っているか?”と訊いてきた。
その質問に私は即答でこう答えた。
“ジャン”
“え?”
“ジャン”
“だから、あの鐘はなんというのか”
“ジャン”
“???”
“………”
“Utah、お前もしかして競輪やるのか?”
“競輪はやったことありません。”
“あれは、半鐘(はんしょう)というのだよ。”

私がなぜあの鐘の名前をジャンだと思っていたのかというと、フリテンくんの初期のころのものを読んでいたからです。
初期のころは名前の通り麻雀の話はよく出てきましたし、また競馬や競輪の話もよく出てきました。

ちなみに私は公営競技はオートレースを1回やっただけです。麻雀はルールを完全に把握していないので人間を相手にやったことがありません。
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by utmich | 2008-12-29 11:23 | 出来事

一度行ってみたかった。PART 2

F1 PIT STOP CAFEを後にした私は、今度は秋葉原に向かうことにした。
秋葉原に着いた私は、まずは、家電店でF1のWilliamsチームモデルの電気カミソリを買うことにした。
店に置いてあったWilliamsモデルのカミソリは、通常版のほかに、中嶋一貴選手のサイン入りのものが同じ値段で置いてあった。
私はサイン入りのものにしようかと一瞬思ったが、使っているうちに中嶋選手のサインが剥げてきたら嫌なのでサインなしのほうを選んだ。

電気カミソリを買った私は、次の目的地に向かうために秋葉原の街を歩いていた。
六本木の街は私には似合わないな、と思っていたが、秋葉原の街はどちらかといえば似合うほうだな、と思った。
そう思いながら秋葉原の街を歩いていた私は、秋葉原にあるF1ショップのF・SQUAREに着いた。
最近F1ショップに行っていないのでほかのF1ショップがどんな感じなのかがわからなかったが、見た感じ比較的ミニカーが多いような感じだったように思えた。
こういうところが秋葉原らしいところなのだろうか、と勝手ながらそう思った。
また、このとき店内のテレビには、SUPER GTの生中継が映っていた。
私はSUPER GTは詳しくないほうである。
だがなぜか、GT 300クラスに“痛車”と呼ばれるものが走っているということを知っている。
(“痛車”の定義についてわかっていないので、もし間違っていたらごめんなさい。また、この先も“痛車”と表現させていただきます。御諒承ください。)
私はGTに出ている“痛車”は1台だと思っていたが、もう1台あることが判明した。
しかもその1台は上位を走っていたためよく画面に映っていた。
私は、まさか秋葉原で“痛車”が出ているレースがみられるとは…、と思った。

さて、私がF1ショップで買ったものは、CDです。
というのも、このサウンドトラックCDが出ていたことを今まで知らなかったため、こういうのあったんだ、と思い棚に置いてあった最後の1枚を買うことにしました。
ちなみにこのCD、最近話題になっているあのアーティストが手掛けた曲も収録されています…
この時世によく入手できたものだ…

さて、会社帰りにいろいろな所に行った私は、普通の人でいうところの一晩中遊び歩いていた状態であった。
早いうちに家路に着いて寝ようかとも思ったが、まだまだ遊び足りないと思ったのか、この後、新宿の街に行ってしまった34歳になった私UtahMichiganでした。
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by utmich | 2008-11-12 11:58 | 出来事

一度行ってみたかった。PART 1

私UtahMichiganの誕生日である11月9日は日曜日だった。
よって、この日は仕事がお休みである。
そこで、会社帰りに一度行ってみたいと思っていた六本木にあるF1 PIT STOP CAFEに行くことにした。
だが、六本木に着いた時、開店時間の11時まで1時間以上時間が余っていたので、近くの店などで時間を潰していた。
それにしても、私に六本木の街は似合わない似合わない…

そして11時になり、私は中に入ってみることにした。
“いらっしゃいませ、お客様はお一人でいらっしゃいますか?”
そう聞かれた私は私は、“見てのとおり1人だよ。周囲に霊でもいるのかよ?”と言いたかったのをかなり押さえて“はい、1人です。”と答えた。
“お客様はF1は好きですか?”
“はい、好きです。”
そう答えると、私は大画面の前の席に案内された。
大画面には今年の日本GPの映像が流れており、大画面の前には、TOYOTAのF1マシンが展示されている。
私がランチセットとパスタを注文したとき、“もし見たいレースがありましたら、2006年と2008年の中から選ぶことができますが、どうしますか?”
そう聞かれた私は、
私1人のために変えてくれるのか…
でもいいのかな…
ま、誕生日だしいいか…

と思ったのち、
でも、どれにしよう…
いろいろ迷った中、私は
“では、(2008年の)カナダで。”
私は、景色の中で一番好きだったカナダGPを、
Kubicaが初優勝を決めたカナダGPを、
そして、来年開催されないことが決まったカナダGPを選んだ。

しばらくして、F1を見ながら料理を食べていたその時、私はメニュー見ていて一度はやめようと思っていたことをやっぱりやろうと思い、
“あの、そういえばメニューに(F1の表彰台で使われている)MUMMのシャンパンありましたよね?あれ、グラスだとどのくらいの大きさになるのですか?”
“グラスだと小さいとおもいます、このくらいの大きさです。”と、手でグラスの大きさを表してくれた。
“わかりました、それお願いします。”
というわけで、私はF1の表彰台で使われているシャンパンをはじめて飲むことにした。
ちなみに私がお酒を飲むのは2007年1月1日に缶ビール1本を飲んだ時以来である。
そしてしばらく経ったとき、
“はい、いつもテレビに映っているシャンパンです。”
と言ってシャンパンが運ばれた。
確かに水やソフトドリンクを入れる時に使うタンブラーの半分くらいの量であった。
ちなみに以前2000年までF1の表彰台で使用されていたMOETを飲んだ時は、のどを通るたびに苦しい思いをしたことがあった。
MUMMはどうだろう、と思いまず一口飲んでみた。
やっぱりのどを通っている間は苦しかった。
だが、それも最初の1回だけであり、2口目からはあまり苦しいような感じはしなかった。
そして、シャンパンを全部飲み、その後出てきたランチメニューのコーヒーを全部飲んだ時、店員がコーヒーカップを片づける時に、
“なんか、だいぶ顔が赤いようですけど、大丈夫ですか?”
“ええ、なんかかなりきてますね…”
“冷えていないお水お持ちいたしましょうか?”
“では、水もう1杯お願いします。”
そして、
“ぜひ、レース最後まで見てくださいね。”
“ていうか、しばらくまともに動けそうもないので…”
以来、グラスの中の水が空になるたびに店員が水を注いでくれた。レースが終わったあとに席を立とうとしたときにも。

さて、私がF1を見ながら食事をしていた時に、店内にいろんな客が入っていた。
その中に、数組の家族連れがいた。子供の年齢は全員1桁といったところだろうか。
その子供の中にやたらF1に詳しい人がいて、ほかの子供にあれこれ説明していたのを見て、この子すごいな、と思った。

私がレースを見終え、トイレに行ったとき、先ほど出てきた子供の中の2人がトイレのドアをノックしてきた。
“入ってますか?”
と聞かれたので私が“入ってます。”と答えたら、
“おじさん?”
“じじい?”
………
確かに私はきょうから34歳のオッサンだが…
て言うかいくらなんでもじじいはないだろ…

そして、私が店を後にしようとしたそのとき、誕生日を祝う歌が聞こえてきた。
あの数組の家族連れの中の1人が今日誕生日だったらしい。
まさかこんな所で誕生日が一緒の人を見るとは…
私はかなりすごいようなものを感じた。

つづく
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by utmich | 2008-11-10 10:46 | 出来事

超!大ショック!!

先日、私は某Webラジオを聴いていた。
私が聞いていた番組は、冒頭にF1の話をすることがあることから、私はこのパーソナリティはF1に関して詳しい人だと思っていた。
確かにそう思っていた。

だが、ある重大なことが判明した。

もう1度書くが、このパーソナリティは番組の冒頭でF1の話をすることがある。
だというのにこのパーソナリティはなんと…

Scuderia Toro Rosso(以下・STR)を知らないことが判明した。

私は自分の頭(記憶)や耳を疑った。
2006年にRed BullがMinardiを買収して参戦したSTRを、
Gerhard Bergerが共同オーナーを務めているSTRを、
今年史上最年少Pole to Winの記録を塗り替えたSevastian Vettel選手がいるチームであるSTRを知らないとは…

私は会社でWebラジオを聴いているにもかかわらず思わず
“嘘だろー!!!”
と叫んでしまった…

もしかしてこのパーソナリティはF1に関してあまり詳しくないのでは…
そう思った。
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by utmich | 2008-10-22 12:13 | 出来事